特殊観光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 10:12 UTC 版)
1960年代の韓国では基地村関連の産業が国民総生産の25%を占めており、そのうち半分が性産業に関わるものだったという。李榮薫によると、1962年の韓国の相場では、基地関連の風俗営業のショートタイムで2ドル、ロングタイムで5ドルであった。固定的な性的関係を持つことによって月給をもらう女性もいた。 1970年代になると、女性のセクシュアリティが外貨稼ぎの主軸とみなされるようになり、慰安婦・洋公主たちは「ドルを稼ぐ愛国者」、「真の愛国者」、「ドルを稼ぐ妖精」「民間外交官」と韓国政府から称賛された。 1961年、朴正煕政権は観光事業振興法を制定し、免税ビールを許可された特殊観光施設業者を指定し、赤線地帯を設立していった。1962年6月には保健社会部、法務部、内務部合同で韓国国内の104カ所の淪落地域を設置、龍山駅、永登浦駅、ソウル駅、梨泰院、東豆川、議政府などもそこに含まれた。国内で管理売春政策をすすめる一方、1962年4月に韓国は人身売買禁止条約に署名している。 朴正煕政権は、慰安婦を新たに「特殊業態婦」という呼称でよぶようになり、特殊観光協議会と韓米親善協会が、売春の制度基盤となった。 1960年代の東豆川だけで未登録の私娼が1万名のものぼり、米兵2,3名あたり1名の娼婦がいた。1962年の韓国ではアメリカ兵相手の慰安婦として2万名以上が登録されていた。韓国政府推算では1万6000名。
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