物理学における役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 07:59 UTC 版)
「ミレヴァ・マリッチ」の記事における「物理学における役割」の解説
ミレヴァがアインシュタインの初期の研究、特に「奇跡の年」の研究に関わっていたか否か(もしそうであれば、どの程度関わっていたか)については、多くの議論がある。物理学史家の間のコンセンサスとなっているのは、彼女は重要な貢献はしなかったというものである。ただし、彼女が一定の役割を果たしたと考える専門家もいる。 ミレヴァがアインシュタインの初期の研究の共著者になっていたという主張は、主に以下の証拠に依っている。 アルバート・アインシュタインの「奇跡の年」の論文に、ミレヴァが共著となっている原稿を見たとする、著名なロシアの物理学者アブラム・ヨッフェの証言。しかし、この話は今日では疑わしいとされている。 ミレヴァがセルビア在住の友人に、「私たちは、私の夫を世界的に有名にする重要な研究を終えた」と語ったという主張。しかし、このような回想は、「故郷の伝説」とされている。 アインシュタインが「我々の」理論、「我々の」研究と言及している手紙。ただし、 John Stachelは、この手紙は1905年の数年前、学生時代に書かれたもので、ここで言及されている研究は、学位論文に関するものである可能性があると指摘している。 ノーベル賞の賞金を譲ると約束した離婚の際の合意。しかし、これはアインシュタインがミレヴァを説得するために出した提案であり、合意では、2人の子供のための信託とし、彼女はその利子のみを使えるとされている。 ミレヴァがアインシュタインの理論の構築を助けていたと考える強い証拠はない。2人の息子ハンスは、アインシュタインと結婚する際に母は科学者の夢を諦めたと語っている。アインシュタインは、1920年代に入ってからも非常に成果の多い科学者であり、1914年にミレヴァと別れてからも長い間、非常に重要な研究を産み出している。一方、彼女は論文を発表することはなく、アインシュタインの友人や同僚からも、研究に関わっていたとは言及されていない。そして何より、ミレヴァ自身がアインシュタインの科学的な業績に関わったと主張したこともなければ、最も仲の良かった親友のHelene Savićとの手紙の中でほのめかしたこともなかった。
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