牛深市立大島小中学校とは? わかりやすく解説

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牛深市立大島小中学校

(牛深市立大島小学校 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/13 03:53 UTC 版)

牛深市立大島小中学校
北緯32度10分59.2秒 東経129度58分00.1秒 / 北緯32.183111度 東経129.966694度 / 32.183111; 129.966694座標: 北緯32度10分59.2秒 東経129度58分00.1秒 / 北緯32.183111度 東経129.966694度 / 32.183111; 129.966694
過去の名称 牛深尋常小学校大島分教場
牛深尋常高等小学校大島分教場
天草郡牛深国民学校大島分校
牛深町立牛深小中学校大島分校
牛深市立牛深小中学校大島分校
国公私立の別 公立学校
設置者 牛深市
校訓 自主・創造・共動
設立年月日 1900年(明治33年)
閉校年月日 1975年(昭和50年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード
所在地 863-1901
熊本県牛深市牛深町大島486番地
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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牛深市立大島小中学校(うしぶかしりつ おおしましょうちゅうがっこう)は、かつて熊本県牛深市(現・天草市)牛深町大島(離島)にあった公立学校併設校。

1975年昭和50年)3月末をもって閉校し、「牛深市立牛深小学校」および「牛深市立牛深中学校」に統合された。

概要

歴史
小学校は1900年明治33年)に分教場として、中学校は1947年(昭和22年)に分校として創立。1963年(昭和38年)に小中とも独立。1974年(昭和49年)12月に大島島民全員が牛深町(大池田)へ集団移転することとなり、1975年(昭和50年)3月末に閉校し、小学校は創立75年(独立12年)、中学校は創立28年(独立12年)の歴史に幕を下ろした。
校訓(中学校)
「自主・創造・共動」
校章
小中共通。中央に校名の「大島」の文字(縦書き)を配している。
校歌
小中共通。作詞は濱名志松、作曲は梅沢信一による。歌詞は2番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
通学区域
牛深市のうち「大島」であった。
校舎・校地
(北)発電機室・小学校校舎・中学校校舎・給食室・へき地集会室・運動場(南)であった。離島という特性上、職員住宅も6棟あった。

沿革

  • 1900年(明治33年) - 大島に「牛深尋常小学校 仮分教室」が設置される。黒瀬勤治が主任教師として着任。
  • 1904年(明治37年) - 日露戦争開戦により、町費節約のため、一時閉鎖される。
  • 1906年(明治39年)5月1日 -「牛深尋常小学校 大島分教場」と改称。
  • 1908年(明治41年)-「牛深尋常高等小学校 大島分教場」と改称。
  • 1917年大正6年)- 校舎を改築。
  • 1939年(昭和14年)- 校舎の増改築を実施。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により「天草郡牛深町牛深国民学校 大島分教場」と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
    • 初等科は、新制小学校「牛深町立牛深小学校 大島分校」に改組・改称。
    • 高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校牛深町立牛深中学校 大島分校」に改組・改称。小学校分校に併設される。
  • 1950年(昭和25年)9月 - 中学校校舎が完成。
  • 1954年(昭和29年)7月1日 - 町村合併により「牛深市」が発足。「牛深市立牛深小中学校 大島分校」と改称。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月 - 小学校校舎を改築。
    • 4月1日 -「牛深市立大島小中学校」(最終名)として独立。児童生徒数は小学校70名、中学校24名、計94名。
    • 9月 - 運動場を造成。
  • 1966年(昭和41年)2月 - 中学校校舎を増築。
  • 1967年(昭和42年)
    • 3月 - へき地集会室(体育館)および給食室が完成。
    • 5月 - 発電室が完成。
  • 1968年(昭和43年)5月 - 運動場を拡張。
  • 1969年(昭和44年)12月 - 運動場を拡張。
  • 1971年(昭和46年)4月 - 小学校・中学校それぞれに教頭を配置(創立から前年度まで小中兼任、校長は創立から閉校まで小中兼任)。
  • 1974年(昭和49年)
    • 12月 - 大島全島民の牛深大池田への集団移転が開始。
    • この年度 - タイムカプセルを埋設。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - 統合により閉校。最終年度の児童生徒数は小学校が15名、中学校が11名、計26名であった。
閉校後
  • 2024年令和6年11月23日 - 集団移転から50年を迎え、当時埋設したタイムカプセルの掘り起こし作業が行われる。
    • 実行委員会を中心に卒業生9名が今は無人島となった大島へ50年ぶりに船で渡り、作業を行った[1]。 

交通アクセス

  • 現在、大島は無人島となっており、定期航路の運航は行われいていない。

周辺

脚注

参考文献

  • 大島小学校 - 東京天草郷友会ウェブサイト
  • 大島中学校 - 東京天草郷友会ウェブサイト
  • 「社会福祉研究所報 第8号」(1980年(昭和55年)4月1日発行, 熊本短期大学付属社会福祉研究所)
    • p.82「大島略図」
    • p.90~p.97「島の学校」

関連項目




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