為長の事跡と子孫たちへの影響
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「菅原為長」の記事における「為長の事跡と子孫たちへの影響」の解説
為長が正二位・参議・大蔵卿叙任という異例の昇進を遂げた理由としては、89歳という長寿を保ったことに加え、以下の理由が挙げられる。 30年以上にわたる大蔵卿在任中に蓄積した経済力。 大江広元の鎌倉幕府の政所初代別当への就任に代表されるように、家業の紀伝道におけるライバル的存在であった大江氏が朝廷の中心から離脱したこと。 為長が家司として務めていた九条家、特に九条道家が鎌倉幕府に対して親幕府的な態度をとっていたために、承久の乱以降も九条道家の政治顧問として朝廷の中枢に留まることが可能であった事。これは、為長と幕府との関係は北条政子から『貞観政要』の和訳を依頼され、その任に応えている点からも伺う事が可能である。 九条家のブレーンとしての実力は、五代の天皇に亘って侍読を務めていたことからも証明できるものと考えられ、同じ時期に九条家に仕えた藤原定家からも高く評価されている。また、世間から「文道棟梁」「今世之宏才」「当代大才」「国之元老」という賛辞が彼に送られたことも彼の子孫にとって大いなる栄誉となり、明治維新まで堂上家(高辻家・五条家・東坊城家等の六家)として存続できたことの大きな要因となった。
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