為買反物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/06 02:56 UTC 版)
カピタンは江戸参府の際に、「献上物」として将軍や将軍世氏に贈り物をし、老中・若年寄・側用人などの幕府高官にも「進物」と呼ぶ贈り物をしていた。それ以外にも警固の検使や江戸番通詞、それに各町の阿蘭陀宿にも若干の品々が贈られた。それらの献上物・進物の残品は阿蘭陀宿で買い取っていた。買取品の反物を「為買反物(かわせたんもの)」または「御買せ反物」という。献上物や進物は、本来は必要な分だけ持参すべきであるが、道中なんらかの理由で破損・紛失する可能性があるので、その予備のためカピタンたちは余分の品を江戸まで持ち込む。そしてそれらを旅費の一部にあてるという名目で販売の許可をもらっていた。それがやがて習慣化・制度化されていき、オランダ商館の帳簿にも計上されるようになった。 為買反物は、進物を贈られた幕府高官たちや江戸・京都・大坂・小倉の阿蘭陀宿に、市価の5割増で買い取られ、それらはさらに買い値の3倍強で売払われる。幕府高官の受けた進物や調い品、それに江戸・京都・大坂の阿蘭陀宿がオランダ人から受けた進物も、江戸の定式出入り商人の1人・越後屋に売り払われ、越後屋によって江戸の市中へ小売された。京都・大坂の阿蘭陀宿は江戸の長崎屋に為買反物の販売を委託し、売り上げ代金を江戸の長崎屋から大坂の長崎屋為川へ為替手形で送って決済された。阿蘭陀宿のなかでも、江戸の長崎屋はもっとも多くの為買反物の買取・販売を行い、京・大坂の阿蘭陀宿から販売の手数料も得ていた。これらは大きな利をもたらしたが、そのほとんどが借財の返済に費やされており、長崎屋は常に「難渋」を訴え続けていた。
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