点字との出会い・盲教育の道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 00:00 UTC 版)
「岩元悦郎」の記事における「点字との出会い・盲教育の道へ」の解説
21歳のときに、小樽に住む親戚から、小樽盲学校(1977年に廃校)を勧められた。当初は「按摩にはなりたくない」と気が進まなかったが、母に「気晴らしに」と勧められ、入学した。 この小樽盲学校で、岩元は初めて点字に出会った。岩元は点字を覚えることに夢中になり、数日後には本が読めるまでになった。もともと小説が好きであったが、それまでは家族の者に読んでもらっていたので、自力で本が読めることは大きな喜びであった。特に芥川龍之介の『羅生門』や『トロツコ』を読んだときの感動は、その後も数十年にわたって忘れることはなかった。 岩元は点字の存在により、まさに失われた光を取り戻したといえた。岩元は点字を通じて希望を取り戻し、盲学校の教員を志した。1931年(昭和6年)、東京盲学校の師範部で、教員の資格を取得した。また在学中に、健常者の筆算と同様に点字で計算の可能な点字盤「岩元式点字盤」を考案した。1935年(昭和10年)、母校の小樽盲学校に教員として赴任した。 1937年(昭和12年)、菅原ヒデと結婚した。ヒデは健常者で、岩元より年下ながら、岩元が小樽盲学校の生徒だった頃にすでに特殊教育の教員として勤めており、教育者としては先輩だった。またヒデはキリスト教徒であり、岩元はキリスト教の知識が皆無であったため、東京盲学校卒業時に贈られた点字聖書『マタイ伝』を初めて読み、キリスト教に触れる機会となった。
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