炭鉱経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 00:25 UTC 版)
1899年頃より、藤山は北海道での地下資源開発の有望さにも着目していた。同年、藤山は九州から炭鉱技師を招き、まず宗谷郡声問村字二股の地域を採鉱した。有望な鉱脈を発見したことで採掘に着手したが、炭層が若かったことで一時は休山した。しかし1910年、泊村の茅沼炭鉱を購入して経営し、年間1万6千トンを石炭を採掘した。また、苫前郡羽幌と樺太西海岸にも石炭鉱区を所有した。 また、ニセコ連峰の主峰であるニセコアンヌプリの一部に、1320万平方メートルの硫黄の大鉱区所有し、1912年(明治45年)から採掘に着手した。瀬棚郡瀬棚村馬場川と虻羅にはマンガンの鉱区を保有し、その地積は284万平方メートルに及んだ。
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