火と原子論の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/24 00:25 UTC 版)
化学の起源は燃焼という現象に遡ることができる。火は、ある物質を別のものに変容させる神秘的な力であり、それゆえ驚きと迷信の出所となった。食品の調理による食習慣の変化や、陶器、それぞれの用途に特化した道具類の製作など、火は古代社会にさまざまな側面で影響を与えてきた。 原子論は古代ギリシアと古代インドに起源をもつ。ギリシアの原子論は、ローマのルクレティウスが紀元前50年に著した『万物の本性について』(De Rerum Natura)のなかで指摘した紀元前440年まで遡ることができる。その記述では、この考え方は原子(アトム)が物質の最少の単位であると提唱したデモクリトスやレウキッポスに始まるとしている。偶然にも同時代のインドの哲学者カナーダ (Kanada) は、そのヴァイシェーシカ (Vaisheshika)・スートラ (sutra) の中で類似の提言をしている。カシュヤパが彼のスートラに表れたのは瞑想の産物であったようだ。同様の手法でガス(気体)の存在も論じられた。カナーダがスートラで提唱したことは、デモクリトスが哲学的黙想から提唱したものでもあった。いずれも経験的データを欠いていたので、科学的証明のない原子存在は容易に否定された。紀元前330年にアリストテレスは原子の存在に異を唱え、ヴァイシェーシカ学派の原子論も長い間反論に晒された。 ヨーロッパでは、キリスト教会がアリストテレスの著作を一種の経典のように扱い、原子論関連は異端視された。アリストテレスの著作はアラビア語に訳されてイスラム世界で保存され、13世紀になるとトマス・アクィナスとロジャー・ベーコンがこれをラテン語に翻訳して再びヨーロッパに紹介した。
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