潜入から現地民との接触と戦闘
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「レッド・ウィング作戦 (アフガニスタン)」の記事における「潜入から現地民との接触と戦闘」の解説
2005年6月27日の夜間未明、第160特殊作戦航空連隊の2機のMH-47が降下地点のサウテロ山南側付近に到着。一機が索敵としてデコイを大量に投下した後SEALs偵察チームがロープで地上に降下した。偵察目標地点まで約2.4kmであった。 降下したのはSEAL・SDVチーム1のマイケル・P・マーフィ大尉、マシュー・アクセルソン二等兵曹、マーカス・ラトレル一等兵曹、SEAL・SDVチーム2のダニー・ディーツ二等兵曹の4名であり、徒歩により目標地点へ接近、対象を監視できる拠点を確保して偵察行動を開始した。 しかしその直後に付近を通りかかった3名の山羊飼いと接触。マーフィ大尉らはこれを拘束する。山岳によって電波が悪く、前線基地との通信連絡が不可能な状況に陥っていたため、やむをえず現場の判断として3名を非戦闘員とみなして交戦規則に基づき解放した。チームは、作戦が危険にさらされたと判断、退却ポイントまで後退した。しかしそれから1時間もしないうちに、RPK軽機関銃、AK-47、RPG-7、2B9 82mm自動迫撃砲で武装したシャーとその部下に襲われることとなった。 様々な火器を使用した激しい攻撃により、チームはサウテロ山の北東にあるシューレック渓谷側に移動を余儀なくされた。幾度となく無線機と衛星電話を使い前線基地に連絡を試みるも、通信環境が悪く攻撃を受けていることを伝えられなかった。 交戦の結果、チームの3名が戦死、唯一の生存者であるマーカス・ラトレル一等兵曹も多発外傷と骨折により一時的に意識を失った。その後意識を取り戻したところを地元のパシュトゥーン人により助け出された。
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