漫画家からタレントへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:27 UTC 版)
1980年代中頃、劇団東京乾電池の柄本明から劇団ポスターを依頼され、劇団に出入りするようになる。その後、柄本からの依頼で劇団東京乾電池の公演『台所の灯』(1987年5月15日・こまばアゴラ劇場上演)に出演する。 これがフジテレビプロデューサーの横澤彪の目に留まり、1987年に『笑っていいとも!』(フジテレビ)に文化人枠でレギュラー出演。 俳優として舞台活動もこなし、テレビドラマ『教師びんびん物語II』(フジテレビ)への出演を皮切りにテレビ番組に本格的に進出し、特異なキャラクターを活かした芸能活動に比重を移して数多くのバラエティ番組に出演している。 特にタレントとしての代表作であるテレビ東京系のバラエティ番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』シリーズでは、リーダー役の太川陽介やゲストの女性タレントと共に日本各地の路線バスを乗り継いでいき、行き当たりばったりの珍道中を展開し、タレントとして再注目される契機となった。数多くのテレビ番組に出演する一方で、タレントの仕事はあくまでアルバイトとしている。 1997年、青林堂の内紛騒動で『ガロ』が休刊。その後、青林堂から分裂した青林工藝舎が新たに創刊した漫画雑誌『アックス』で特殊漫画家の根本敬や青林工藝舎の高市真紀らと共作活動を行う(後述)。 2003年に短編映画『諫山節考』で映画監督としてデビュー。この作品は元々シンガーソングライター・諫山実生のプロモーションビデオとして作られたものである。監督第2作目は2007年の『歌謡曲だよ、人生は』の「いとしのマックス/マックス・ア・ゴーゴー」(脚本も兼任)。
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