漫画大会批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 03:30 UTC 版)
「迷宮 (同人サークル)」の記事における「漫画大会批判」の解説
迷宮の活動は先ず言葉を生み出す場所を作ることから始まった。漫画批評誌は亜庭じゅんを主筆とし、山上たつひこの『喜劇新思想大系』に倣い、誌名を『漫画新批評大系』とした。創刊準備号は日本SF大会を模した日本漫画大会に合わせて発行される手はずとなっていた。 ところが、『迷宮』同人の知人女性(式城京太郎の妻。不慮の事故で1987年に他界)が、漫画大会を批判したとの理由で参加を拒否される事件が起こった。批判内容は、漫画大会の警備員に「態度がおーへい」な人物がいたこと、そして「内容がつまらない」と評したことだったが、漫画大会の運営はこの批判に「開催目的にそぐわない意識を持つ者の参加は認められない」「委員の血と汗と涙に対する重大な屈辱」と主張した。 迷宮はこの事件を重く見て、「漫画大会を告発する会」を結成し、大会事務局に説明を求めると共に、漫画大会の内情を告発するレポートを発行した。さらに、抗議に対して黙殺を続ける漫画大会に見切りを付け、主催者を含めた全員が平等であることを原則とする新たなイベントの創出を急務と認識させた。
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