漢字における「美」の含意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 18:14 UTC 版)
日本語で使われる「美」の文字は漢字であり、中国において3000年以上前に発明されたものである。この「美」という漢字は、「義」や「善」と同様に、一種の要素合成によって造られており、それぞれの上半分の部分は、「羊」という文字である。 「羊」と「大」の合成が「美」であり、「羊」と「我」の合成が「義」である。孔子の『論語』の中にも記されているが、「羊」は宗教的祭式において献物として利用された動物で、「犠牲の動物」の意味があり、そこから「羊」を要素とする合成漢字には、「犠牲」の意味が含まれている。あるいは、「犠牲」の意味を持つ概念を表現するために、これらの漢字は合成され造られたとも言える。 「義」とは「我の責任の限りの犠牲」という意味があり、「善」は、「儀式の祭具に盛る限りの犠牲」という意味があるが、「美」とは「大いなる犠牲」である。この場合の犠牲とは、「自己犠牲」であり、共同体の命運などに対し、人間として行える最大限の犠牲、つまり己が命を献げて対象を高めるという含意があり、言い換えれば、人の倫理の道において、最も崇高な行いが「美」であったのである。 白川説 「美」について『説文解字』に、「羊に従ひ、大に従ふ。」とあり、会意としているが、白川静は「美」全体を象形とし、「羊の全形」と解釈している。以下、白川の字説である。 羊は羊の上半身を前から見た形で、羊の後ろ足まで加えて上から見た形が「美」である。母羊の後ろから小羊が生まれ落ちるさまを「羍」というが、その上部の大と、「美」の下部の大は同じであり、母羊を後ろから見た形である。羊は犠牲として神に供えられ、その羊は美しく完全であることが求められたことから、成熟した羊の美しさを美といい、のちすべての「うつくしい」の意味に用いられた。 「義」は、羊と我に従う会意であるが、我は鋸の象形であり、羊を鋸で截り、犠牲とする意味である。その犠牲として神に供えるのに欠陥がないことを「義(ただ)しい」という。このように、我はもと鋸を意味する字であったが、一人称の代名詞「われ」として使うようになり、我に代えて、のこぎりを意味する字として形声の鋸(キョ)が作られた。代名詞にはそれを示す適確な方法がなく、すべてその字の本義をすてて音を借りた仮借の用法になる。『説文』では「義」を会意としながらも、「己の威儀なり」と解釈しているが、仮借義で会意の字を構成することはないので、我を己と解すのは誤りである。
※この「漢字における「美」の含意」の解説は、「美」の解説の一部です。
「漢字における「美」の含意」を含む「美」の記事については、「美」の概要を参照ください。
- 漢字における「美」の含意のページへのリンク