準拠集団論の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/26 01:02 UTC 版)
準拠集団の概念は社会心理学から始まった。社会心理学者ハーバート・H・ハイマンは『地位の心理学』(1942年)において、それまで、一般的に客観的事実によって行われると考えられていた地位の評価は、実際には評価する人の友人知人といった身近な集団との個人的な主観による比較によって左右されていることを明らかにした。ハイマンは地位評価の基準となる小集団を準拠集団と呼んだ。ムザファー・シェリフ(英語版)は光点自動運動効果実験によって、人間はが判断を行うとき、集団の中にいる状況では他人の影響を受けることを明らかにし、自分の判断を関連付ける集団は所属集団に限らない事実を提示した。また、セオドア・ニューカムは、一つの判断に対して基準となり得る複数の集団があった場合に、優先的に選択される準拠集団を積極的準拠集団と呼んだ。 準拠集団のアイデアは社会学でも展開された。サミュエル・A・ストウファー(英語版)は1949年に刊行された『アメリカ兵』で、アメリカ兵の召集に対する感情や昇進に対する態度などを調査し、兵士たちが軍務に対してどのように不満を持つのかを解明した。ストウファーは不満は絶対的な基準で生じるものではなく、根本的に相対的なもの(相対的不満)であり、どの人々を意識するかによって大きく違ってくると論じた。その後、マートンは『アメリカ兵』のデータを統合的に説明する概念としては、ストウファーの相対的不満よりも準拠集団のほうがより適正であると論じた。マートンは「中範囲の理論」のひとつとして準拠集団論を論じ、社会心理学的な問題と社会学的な社会構造の問題を接続させた。
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