海食洞「穴文殊」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 05:52 UTC 版)
丹後天橋立大江山国定公園内にあり、在日米軍経ヶ岬通信所の敷地の真下に位置する。この岬は、角閃石安山岩の貫入岩からなっており、柱状節理が進んだ状態にある。波によって崖が浸食されたことにより、高さ約10メートルの海食洞が形成されたうちのひとつである。丹後半島沿岸には他にも多くの海食洞が見られるが、その中でも穴文殊の海食洞は規模の大きい方とされ、深い堂宇となっている。洞穴の奥深さは明らかとなっていないが、かつて国道178号線付近から潮が噴き出したことがあるといい、海から道路付近まで洞が続いていると考えられている。京都府のレッドデータブックに「要継続保護」と記録される。 『丹哥府志』や『日本久峰修行日記』の記録によれば、穴文殊の海食洞は、西に40~50間、東に30間ばかりの数十丈の岩壁のなか、8~9間の深く抉れて崖が東西に分かれた奥にある。年に数回、波の凪いだ日には小舟で14~15間は入れるものの、そこから先まで進む者は少なく、そのさらに奥に文殊菩薩が安置されていた。穴の奥深さは底知れず、竜燈がつねに灯ると伝承され、凪でない日にこれを拝もうとすると、穴の右側の岩ノ鼻から綱を伝って水際まで降りればわずかに拝むことができた。1812年(文化8年)頃、これを疑った京都の六部が己が目で確認しようと綱を伝って水際まで降りることを試みたが、海中に転落して命を落とし、その死骸も上がらなかったという。人々は文殊の罰を受けたものと噂した。文殊菩薩像が九品寺の本尊として崖の上に移された後も、海食洞は聖地「穴文殊」として信仰の対象となっている。 2017年(平成29年)8月、在日米軍経ヶ岬通信所が工事作業員のためのコンテナトイレを、この海食洞の真上に設置したことで、地域住民の反感を招いた。猛抗議を受け、経ヶ岬通信所は早々にトイレの使用を中止し、同年9月9日までにこれを撤去した。
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