海外移設の検討と棄却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:23 UTC 版)
「普天間基地移設問題」の記事における「海外移設の検討と棄却」の解説
当時陸上幕僚長であった冨沢暉によれば、アメリカ海軍系のある研究機関ではオーストラリアへの移転も含めた撤退シナリオも研究していたという。これは、佐世保と横須賀の海軍基地の維持のために、普天間については手放すシナリオを想定した内容であった。 現実には、オーストラリア絡みの動きは当時から一部ジャーナリストが嗅ぎ付けていた。1996年7月26日、アメリカとオーストラリアはシドニーで開催した定期安保閣僚協議にて、両国の安全保障協定の重要性を確認する宣言を発表しており、同国で実施してきたアメリカ海兵隊の演習規模を拡大することを決めていた。この演習拡大を唱えたのは海兵隊司令官のクルラック大将であり、ダーウィンが湾岸地域に近いことに着目した措置であった。元朝日新聞記者の石川巌の友人はアメリカの国防当局者と会った後、当時のアメリカ軍には朝鮮半島の緊張状態は早期にカタがつくという楽観論もあり、かつ将来の仮想敵である中国との戦いでは海兵隊は有用ではなく、海兵隊の活躍の場は湾岸にあるとクルラックが考えていた旨を伝えている。もっとも、米豪の国防当局者は「アメリカ海兵隊のオーストラリアでの訓練の拡大は、沖縄における米軍基地の整理、縮小の動きとは関係ない」と牽制していた。 この時は結局海外移転は棄却されたが、その後も、必ずしも代替施設を沖縄に置く必要はない旨の意見がアメリカ国側から出された旨が報じられている。
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