浪士お預けに関する俗説とは? わかりやすく解説

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浪士お預けに関する俗説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:32 UTC 版)

赤穂事件」の記事における「浪士お預けに関する俗説」の解説

赤穂浪士の討ち入り報告受けた際、幕府筆頭老中阿部正武は「このような忠義の士が出た事はまさに国家慶事」と称賛し将軍綱吉報告聞いて感激し処分熟慮して決めたいとして一旦浪士達を4大名家御預けにしたのだといわれる。しかし宮澤一によれば、この話は初期実録本赤穂鍾秀記』に見られる話をもとにしており、史料的に疑わしくいささか信のおきかねる話だという。しかも『赤穂鍾秀記』では順序が逆で、綱吉報告受けてから阿部称賛の話が出ている。 また12月23日寺社奉行大目付町奉行勘定奉行十四名が連名でこの事件処分老中答申した文書とされるものが残っており、『赤穂義人纂書』(補遺)に「評定所一座寄書」という名称で載っているが、山本博文宮澤一によればこの文章偽書であるという。偽書とされる根拠はまずこの文章には上杉家領地召し上げるべきと書いてあるが、幕府指示守って動かなかった上杉家処分するずがないし、幕府吉良邸討ち入り仇討ち認めなかったのにこの文書では赤穂浪士真実忠義者と讃えるなど不自然な点が多いからである。 一方八木哲浩は上述した不自然な点をみとめつつも、「評定所一座寄書」は偽書ではないだろうとし、その根拠として『徳川実紀』に文書記述符合する部分がある事をあげている。『徳川実紀』は江戸後期成立したものなので、『徳川実紀』の記述偽書写している可能性もあるが、八木幕府内に残され何らかの確かな史料元にたとする方が自然ではないかとしている。

※この「浪士お預けに関する俗説」の解説は、「赤穂事件」の解説の一部です。
「浪士お預けに関する俗説」を含む「赤穂事件」の記事については、「赤穂事件」の概要を参照ください。

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