浪士による騒擾活動とは? わかりやすく解説

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浪士による騒擾活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 12:14 UTC 版)

鳥羽・伏見の戦い」の記事における「浪士による騒擾活動」の解説

10月15日薩摩藩士・西郷隆盛討幕名分立たない事に苦慮し百万の兵をもつ徳川家憤激させよう謀ったその手始めとして薩土討幕の密約によって、土佐藩より移管受けた勤王浪士中村勇吉相楽総三里見某らを中心とし、さらに討幕勢力の拡大構想して浪士募集し藩邸内に匿った。その第一計として浪人関東各地放って開戦時には関西関東どちらでも江戸幕府奔走させ疲れさせよう考えた。そこで西郷薩摩藩士・益満休之助と同藩の陪臣(倍々臣)・伊牟田尚平に「江戸へ出た浪人よびあつめ関東中で騒乱起こせ。もし徳川家警備隊警察)を送ってくればできるだけ抵抗せよ」と告げると、両人大喜び江戸へ向かった。益満と伊牟田三田薩摩藩邸に着くと、同藩邸留守居役篠崎彦次郎とともに公然と浪人募集しはじめた。益満らは同藩主島津忠義の名で「(江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所で、薩摩藩出身の)天璋院さまご守衛の為」と偽って徳川宗家浪人公募の旨を届け出た為、老中らは拒むことができなかった。これから益満らは東奔西走し募集した500名の浪人らを、中村勇吉落合直亮相楽総三らを統括者としてまとめると、権田直助を彼らの相談役に、しきりに彼らを江戸から関東一帯放って騒擾活動をさせた。 さらに慶喜復権向けて不穏な動き感じた討幕派は、薩摩藩管理下の勤王浪士たちを用いて江戸幕府対し江戸市中放火町人への強盗庶民への辻斬りなど騒擾による挑発作戦敢行しはじめた。 四散した浪人らは江戸で豪商民家強盗し、関東取締出役渋谷和四郎留守宅を襲うと家族殺傷した浪人らは、無頼の徒浪人名を借りて誰にはばかるところもなく、至るところ財産盗んで騒擾事件起こした。これらの浪人による騒擾事件は、10月下旬からはじまり、12月になると最も凄まじくなった。

※この「浪士による騒擾活動」の解説は、「鳥羽・伏見の戦い」の解説の一部です。
「浪士による騒擾活動」を含む「鳥羽・伏見の戦い」の記事については、「鳥羽・伏見の戦い」の概要を参照ください。

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