浦和会場とは? わかりやすく解説

浦和会場(浦和花火大会)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 05:49 UTC 版)

さいたま市花火大会」の記事における「浦和会場(浦和花火大会)」の解説

合併前の浦和市では、1952年から浦和競馬場会場として花火大会行っており、県内各所から約30万人見物客訪れていた。1967年からは別所沼公園会場移して、「浦和ぼんぼり祭り」の一部として1980年まで開催され1981年からは「浦和ぼんぼり祭り」を改めた浦和まつり」の一部として1987年まで引き続き別所沼公園花火大会行っていた。1988年からは会場22年振り競馬場戻しさいたま市誕生後2002年まで引き続き浦和まつり」として花火大会が行われた。競馬場スタンド席に座って鑑賞することができ、この花火大会の人気が高い理由のひとつであった先述通りさいたま市政令指定都市への移行に伴い2003年2006年さいたま市花火大会集約されたために浦和地区での花火大会開催廃止された。ただ、会場交通不便荒川総合運動公園での開催のため、さいたま市東部市民から不評招いたため、2007年からさいたま市花火大会合併前の旧市ごとの3か所に分散して開催されることになり、浦和競馬場会場として浦和地区での花火大会復活したこの年観覧客は15万人翌年同程度集客があったが、警備上・安上の不安から競馬場での開催が困難となり(競馬場所在地住宅密集地であり、1988年移転時も含めて以前から危険が指摘されていた)、惜しまれつつも会場変更余儀なくされた。2009年大崎公園開催されたが、最寄り駅である東浦和駅から遠く打ち上げた花火隠れて見えにくいためにこの年限り開催となり、2010年以降東浦和駅から近い大間木公園での開催となっている。集客は約7万人とどまっており、競馬場会場半分にまで落ち込んでいる。しかし、川口市2018年までたたら祭り」で花火大会開催していた)との市境近く行われているため、川口市側から集客増加している。

※この「浦和会場(浦和花火大会)」の解説は、「さいたま市花火大会」の解説の一部です。
「浦和会場(浦和花火大会)」を含む「さいたま市花火大会」の記事については、「さいたま市花火大会」の概要を参照ください。

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