浦和レッドダイヤモンズ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 05:43 UTC 版)
「永田充」の記事における「浦和レッドダイヤモンズ時代」の解説
2011年、マルシオ・リシャルデスと共に浦和レッドダイヤモンズに完全移籍。背番号は新潟時代の同僚で前シーズンチーム得点王のエジミウソンが付けていた17番が与えられた。3月6日に行われたJ1第1節、対ヴィッセル神戸に先発出場し、浦和での公式戦デビューを果たした。7月13日にホームで行われたJ1第4節の川崎フロンターレ戦でコーナーキックからのこぼれ球を右足で押し込み浦和での初得点を記録した。8月14日に東北電力ビッグスワンスタジアム行われたJ1第21節の新潟戦では山田暢久のヘディングを相手GKが弾いた所を右足で押し込み、シーズン2点目を挙げた。チームは最終節まで残留争いに巻き込まれるほど低迷し、15位に終わったものの、移籍1年目からCBのポジションを確保し、シーズン全34試合フル出場を果たした。 2012年は、ミハイロ・ペトロヴィッチ新監督の下、坪井慶介・槙野智章とともに3バックを形成。安定した守備を見せて前年とは一転して優勝争いに絡み、最終的には3位に入り、チームとして5年ぶりのACL出場権獲得に貢献した。しかし、その後は度重なる怪我もあって出場機会を失った。
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