浙江省などでの活動
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1934年(民国23年)12月、黄紹竑は浙江省政府主席に任ぜられ、1936年(民国25年)12月、湖北省政府主席に異動した。翌年に日中戦争(抗日戦争)が勃発すると、第2戦区副司令長官として山西省の閻錫山を補佐した。 同年11月、呼び戻されて浙江省政府主席に再任され、さらに第3戦区遊撃総司令も兼ねた。杭州が日本軍により陥落させられてからは、省会(省都)を頻繁に移し変えながらも抗戦を継続し、最後まで戦い抜いた。また、この間に、中国共産党との政治的交流も開始している。 1946年(民国35年)3月、共産党との交流などを蒋介石に猜疑された黄紹竑は、浙江省政府主席を罷免された。その後、立法委員、監察院副院長などを歴任する。1948年(民国37年)に李宗仁が副総統選挙に出馬した際には、これを支援して当選に貢献した。 蒋介石が下野に追い込まれ、李宗仁が代理総統となった後の1949年4月、黄紹竑は国民党代表団の1人として和平交渉に赴いた。黄らは共産党が提示した和平協定を持ち帰ったが、国民党の指導部はそれを拒否する。そのため、黄は香港に逃れた。同年8月、黄は44人の著名人士たちとともに香港で国民党からの離脱を宣言する。9月、北京に赴いて中国人民政治協商会議(新政協)に参加した。
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