洪門の歴史
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「洪門天地會青蓮堂日本總會」の記事における「洪門の歴史」の解説
洪門創立に関し諸説がある。 例えば、 洪門(ほんめん)天地会の始まりは17世紀ごろ。1674年(康熙甲寅十三年)3月25日。少林寺の僧侶らが興した説。1734年(雍正甲寅十二年)7月25日。これは英国ロンドンにある大英博物館所蔵の抄本『西魯敘事』による。 …などがある。 だが、結社の会員が清政府に捕まり調書を取られ、当時の官書記載によると 天地会(洪門)の名が最初に現れたのは、1786年乾隆51年11月27日台湾で発生した大起義「林爽文の役」である。 天地会すなわち洪門(ほんめん)とは、当初は中国大陸の福建から生まれた民間秘密結社。のちに台湾、両広(広西、広東)、江西、雲貴(雲南、貴州)、湖南、浙江などへ発展する。やがて会員らが国外へと拡げた。 洪門天地会の創立は福建省の高溪廟である。これは洪門伝承秘書にも記載されており、その信頼性は符合する。この高渓廟は、1761年(乾隆二十六年)南少林寺の武僧の生き残りが清への復讐を目指して、万雲龍大師哥(洪棍)により正式に創立としており、清朝康熙年代において天地会の五祖(宗家五人)が結盟を結んだ場所とされ、房(五房)へ発展する。しかし、この説は学術的には乾隆年間(1736~1795)ごろの中国南部で自然発生的に生まれた組織だったといわれている。 【洪門誕生の聖地】、1991年3月20日第三省級文物保護に認定されている。ネット上では、鄭成功(ていせいこう)が興したと論評するところもあるが、じつは天地会すなわち洪門の創立と関係がなく、小説から生まれた話と気付き、近年歴史家の研究などで分かってきた。
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