津島進出と電気事業開業
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1910年(明治43年)1月13日、一宮と鉄道で繋がる海部郡津島町(現・津島市)に津島瓦斯株式会社が設立された。資本金は20万円。一宮瓦斯と同様に奥田正香が社長を務め、地元津島からは友松信治郎が専務取締役に入るほか、佐分慎一郎も監査役に名を連ねる。翌1911年(明治44年)6月1日、一宮瓦斯はこの津島瓦斯株式会社を合併し資本金を50万円とした。合併時、需要家数は一宮瓦斯が869戸、津島瓦斯が567戸であった。 津島町でも一宮町と同様、ガス事業に続いて電気事業が企画された。津島電気株式会社がそれで、1912年(明治45年)2月に電気事業許可を受け、同年9月12日付で資本金10万円にて津島町に設立された。奥田・友松・佐分の3名が取締役を務める会社であった。一宮瓦斯は津島瓦斯に続いてこの津島電気も翌1913年(大正2年)3月1日付で合併し、資本金を60万円とした。そして合併後電気工事に着手し、津島分工場に発電所を設置して1914年(大正3年)8月1日より津島町で電気の供給を開始して電気事業者としても開業するに至った。 逓信省の資料によると、電気事業開業当初は津島町と佐織・美和・平和の3村へと供給。電源の発電所は蒸気機関と大阪電灯製三相交流発電機(周波数60ヘルツ)からなる出力40キロワットの火力発電所であった。1年後の1915年(大正4年)10月20日、美和村木田の開閉所を通じて名古屋電灯からの受電を開始した。受電高はこの段階では30キロワットである。またこの間の1915年6月26日付で社名を一宮瓦斯から尾州瓦斯電気株式会社へと変更している。 次いで1918年(大正7年)6月26日、本店を一宮町から津島町大字津島へと移転。翌1919年(大正8年)6月27日には社名から「瓦斯」を除いて尾州電気株式会社へと改称した。
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