江戸時代の伝来について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 00:02 UTC 版)
「小夜左文字」の記事における「江戸時代の伝来について」の解説
本作は当初幽斎の愛刀であり、幽斎の死後は細川忠興にも引き継がれていた。しかし、1627年(寛永4年)に小倉藩大飢饉が起こった際、細川忠利は領民の飢餓を救うために小夜左文字と大名物の茶器「有明の茶入(安国寺肩衝茶入)」を売却したとされている。そして、福岡藩主である黒田家や広島藩主である浅野家と所有者が移っていった。 1661年(寛文2年)には、土井家に所有者が変わる。1665年(寛文5年)6月に同家より本阿弥家へ鑑定に出されて1500貫の評価を得る。また、『享保名物帳』の写本には第1類・第2類の2系統があるが、このうち本阿弥家から吉宗に献じた本の写しである第1類では「土井能登守」と記されたことから、越後大野藩主である土井家の所有であることがわかる。また、本阿弥光恕(芍薬亭長根、1767年~1845年)が編纂した第2類では「京都町人某」と記されている。
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