江戸時代の下福元村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 08:45 UTC 版)
下福元という地名は江戸時代より見え、薩摩国谿山郡谷山郷(外城)のうちであった。上福元村(現在の上福元町など)と共に福本村とも称していた。村高(石高)は「旧高旧領取調帳」では3,038石余であったとされ、人口は5,020人、戸数は1,019戸であった。 明暦元年11月15日に八木主水佑元信によって錫山元山峠で錫山鉱山が発見されたとされる。1879年(明治12年)には戸長役場が下福元村に設置された。1882年(明治15年)の「県地誌」によれば下福元村に5隻の漁船があったと記載されている。
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