江戸時代の事例とは? わかりやすく解説

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江戸時代の事例(おぼ抱き観音伝説)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 06:20 UTC 版)

産女」の記事における「江戸時代の事例(おぼ抱き観音伝説)」の解説

時は元禄時代のはじめ、会津高田袖山(現・会津美里町旭)に五代目馬場左衛門という信心深い人がおり、ある時、五穀豊穣子孫繁栄福満虚空蔵尊発願し、柳津町円蔵寺丑の刻参り当時満願成就のため)をしていた。さて満願をむかえるその夜羽織着て新しい草鞋と身支度万全いつものように5里(約20km)の旧柳津街道田澤通り)を進んだが、最後早坂峠付近さしかかると、何故かにわかに周辺ぼーっと明るくなり赤子抱いた一人の女に会う。なにせ平地2里、山道3里の道中で、ましてやこの刻(午前2時ころ)、透き通るような白い顔に乱し髪、さては産女妖女)かと息呑んだが、女が言うには「これ旅の方、すまないが、わたしが髪を結う間、この子抱いていてくださらんか」とのこと。久左衛門は、赤子泣かせたら命がないことを悟ったが、古老から聞いていたことが頭に浮かんで機転をきかし、赤子外向き抱きながら、自分羽織の紐で暫しあやしていたという。一刻一刻が非常に長く感じたが、やがて東の空が白みはじめるころ、やっと女の髪結い終わり「大変お世話になりました」と赤子受け取ると、ひきかえに金の重ね餅手渡してどこかに消えたという。その後も久左衛門の家では良いことのみが続いて金銀があふれるように大分限者長者)になり、のちにこの早坂峠(現柳津町森林公園)におぼ抱き観音まつったのである。なお、円蔵寺おぼだき観音伝説にも詳しい。

※この「江戸時代の事例(おぼ抱き観音伝説)」の解説は、「産女」の解説の一部です。
「江戸時代の事例(おぼ抱き観音伝説)」を含む「産女」の記事については、「産女」の概要を参照ください。

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