おぼだき観音伝説とは? わかりやすく解説

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おぼだき観音伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 00:45 UTC 版)

円蔵寺」の記事における「おぼだき観音伝説」の解説

江戸時代元禄のころ、会津高田袖山(現、会津美里町旭・袖山というところに五代目馬場左衛門という信心深い人がおり特に福満虚空蔵尊厚く信仰していた。ある時、五穀豊穣子孫繁栄発願し、福満虚空蔵尊丑の刻参りをしていたという。いよいよ満願の夜、羽織手甲新しい草鞋と身支度万全袖山から高田経て八反道、旧柳津街道(田澤通り)を進んだ最後早坂峠にさしかかった時、漆黒の闇にもかかわらず辺りぼーっと明るくなったかと思うと、赤子をだいたひとりの女にあう。散らし髪に白いほほ、久左衛門はおもわず息をのんだ。女が言うには「旅の方ちょうどよい、私はこのおぼ(乳呑み児)の世話で、長い間髪をゆう暇もありませんでした。しばしこの子預かってはくださらんか?」「髪をゆう間、この子泣かせずにあやしてくれたら褒美授けましょうさもなくば・・・」とのこと平地2里、山道3里の道中ましてやこの刻、魔性の女であることは確信していた。久左衛門古老から聞かされたことがハッと思い当たって、喉を噛まれないよう赤子に目を会わせ外向き受け取ると、自分羽織の紐を赤子の顔の前に垂らしてあやしていた。この羽織の紐は左右長さが違うのであるが、赤子は紐の先端合わせよう夢中でキャッキャいいながら引っ張り続けていたという。やがて東の空が白み始めて一番鶏鳴き始める頃、やっと女の髪ゆいが終わり、「よくぞ、この子泣かせあやしてくれました。大変お世話になりました」という間もなく女は消え去り、久左衛門の手には赤子代わりに金の重ね餅握らせられていたという。これを持ち帰って代々大事に取り扱ったところ、大分限者(長者)になった。久左衛門はのちに早坂峠(現-柳津森林公園)におぼ抱き観音まつったのである

※この「おぼだき観音伝説」の解説は、「円蔵寺」の解説の一部です。
「おぼだき観音伝説」を含む「円蔵寺」の記事については、「円蔵寺」の概要を参照ください。

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