母の背で意識した死とは? わかりやすく解説

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母の背で意識した死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 02:52 UTC 版)

横尾忠則」の記事における「母の背で意識した死」の解説

2歳ある日多可郡西脇町現・西脇市)のはずれにあった実家近くヶ瀬)が台風による氾濫流され仮設けられた。小さな板が打ち付けられているばかりの浮き橋で、父が自転車押しながら安全を確認しながら進む後を母に背負われた横尾河原から不安な気持ちで見つめていた。母の背中温もり通し両親の心がそのまま大きなになって伝わるのを感じる。しかし、同時に死の観念襲われる。この親子の関係がいつまでも続くはずがないという感覚だった。横尾両親50代になってもらわれてきた養子であったため、横尾の眼には2人ともひどく年寄り見えたこのため両親自分の関係が長く続かないのではという漠然とした恐れがあった。また、川の氾濫によって田畑流され滅びるという自然のもたらしたカタストロフィー(この場合大災害の意)の匂いの中で破滅的な終末兆し感じとった。これが記憶に残るこの世最初に見た光景である。 3、4歳の頃、「自分はどこから来た人間なのだろう」としきりに考えるようになる年老いた両親果たし本当の親なのだろうか、と考えるが怖くて聞けなかった。母は、この横尾不安に感づいたのかある日、試すような言い方で「ターちゃんは、の下でひろってきたんやで」と横尾耳元ささやいた横尾の耳の中でその言葉何度も繰り返され、やがて棲みつくようになる時空超えたはるか遠い昔出来事のように思えたが、誰か捨てられたことに対して悲しさはなく、甘酸っぱいロマンティック物語主人公になったような感覚があった。横尾には捨てられた場所は分かっていた。洪水流されのずっと上流の下だった。その洪水流され原型とどめていなくても間違いなくそこだという感覚があった。その後横尾両親渡った捨てられの夢を何度も見るが、はいつも途中で途切れており、そこから先は細くて薄い板が1枚延びているだけだった。ただ、その先別の世界つながっているという感覚だけがあった。それが後々まで映像として横尾脳裏残った

※この「母の背で意識した死」の解説は、「横尾忠則」の解説の一部です。
「母の背で意識した死」を含む「横尾忠則」の記事については、「横尾忠則」の概要を参照ください。

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