歴史的宗教文献での用例
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平安末から鎌倉初期にかけて活躍した神祇官大副卜部兼友は『神道秘録』の中で神道を「円満虚無霊性を守る道」と言っている。 道は天地未だ分かれざる時、日月星辰未だ顕れず、木火土金水の五行も未だ備はらず、ゆえに虚空界の相尽き、善悪の法量渉らず、寂然無為円満虚無霊性を以って、神道の玄旨と為す。それ神道は、円満虚無霊性を守り、生死の二法に渉らず。ゆえに、神道の二字を釈きて、神は神に超ゆる神なり、道は道を超ゆる道なり。それ神は神に超ゆる神にして道は自性の神光なり。 — 卜部兼友『神道秘録』。 一方、卜部兼友と同時代の道元の「弁道話」(『正法眼蔵』巻頭に収載)には「霊性(レイショウ)」の語がみえるが、これは霊性なるものを永遠不滅の実体とみる考えは仏道から外れた邪説であるという批判的文脈において引き合いに出されたものである。 いはく、かの外道の見、わが身、うちにひとつの霊知あり。かの知すなはち縁にあふところに、よく好悪をわきまへ、是非をわきまふ、痛痒をしり苦楽をしる、みなかの霊知のちからなり。しかあるに、かの霊性(れいしょう)は、この身の滅するとき、もぬけてかしこにむまるるゆえに、ここに滅すとみゆれども、かしこの生あれば、ながく滅せずして常住なりといふなり。かの外道が見かくのごとし。 — 道元「弁道話」。 室町時代中期から戦国時代にかけて吉田神道を大成した神道家吉田兼倶は主著『唯一神道名法要集』の中で、カミを「一切霊性の通号」であるとした。 問ふ。何ぞ神道ト謂はずして真道と謂ふぞ哉。答ふ。神(カミ)トハ善悪邪正、一切霊性の通号也。所謂純一無雑の真元ノ神ヲ明かサンが為ニ、之ヲ真道ト謂ふ者也。 — 吉田兼倶『唯一神道名法要集』 江戸時代の国学者賀茂真淵や本居宣長は、仏教や儒教の影響を除外して古代日本の霊性を表示することを目指した。 また国学者平田篤胤は『密法修事部類稿』で次のように言っている。 「吾が身はこれ産霊神。風・火・金・水・土、五大を聚結し、而してその至善の霊性を分賦し玉へるものなり。身は遂に五大に帰り、ただ霊性のみ、無窮の吾れなり。」。
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