武蔵児玉党流富田氏とは? わかりやすく解説

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武蔵児玉党流富田氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 01:20 UTC 版)

富田氏」の記事における「武蔵児玉党流富田氏」の解説

武蔵国児玉郡富田邑(現在の埼玉県本庄市富田発祥氏族武蔵七党最大武士団とされた児玉党構成する氏族であり、児玉氏本宗家から派生した。遵って、藤原姓とあるが、本来は有道(在道)姓である。児玉党本宗3代目児玉武蔵権守家行の三男である児玉三郎親家が、父家行から児玉郡富田(とみだ)の領地与えられ土着して、富田三郎親家名乗った事から始まる。遵って、12世紀中には富田氏名乗っている。兄に庄太夫家弘(児玉党本宗4代目)がいる。児玉党富田氏一族は、『吾妻鑑『太平記』前太平記』『北条五代記』『関東古戦録』などの資料に名が見える(薩埵峠の戦いにも参戦している)。 なお、親家紀伊国所領得ているが、武功立てて得たものではなく幕府軍生け捕られた時、将軍家に力芸を見せた事で罪を許され所領得たと言う変わった経歴持っている親家長兄児玉郡栗崎の地へ行き庄氏名乗り次兄児玉郡塩谷の地に土着して塩谷氏名乗った。遵って、児玉党富田氏は、庄氏塩谷氏同族である。 児玉党家紋は「軍配団扇紋」であるが、本宗家から領地分与される際、その地名を氏とすると共に団扇の中の模様のみを変えた。その為、基本軍配団扇であるが、氏族ごとに模様の方は異なる。富田家は他の党氏族異なり、柄である竹が短めに書かれており(柄頭飾りもある)、の方が強調されている(他の軍配団扇紋と比べ全体的にシンプルである)。全部で五左右に二枚ずつ、天辺一枚)。厳密には、下段は四枚葉中段三枚上段一枚三枚となっており、竹の上部に横長方形描かれている(竹の一部とも見て取れる)。特に細かい紋名はない模様である。 富田近家富田近重富田近行-富田近氏~~

※この「武蔵児玉党流富田氏」の解説は、「富田氏」の解説の一部です。
「武蔵児玉党流富田氏」を含む「富田氏」の記事については、「富田氏」の概要を参照ください。

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