武田宗俊の玉鬘系後記挿入説とは? わかりやすく解説

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武田宗俊の玉鬘系後記挿入説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/16 15:32 UTC 版)

玉鬘系・紫上系」の記事における「武田宗俊の玉鬘系後記挿入説」の解説

玉鬘系」(およびこれと並ぶ「紫上系」)という概念最初に明確な形で唱えたのは武田宗俊である。武田は、源氏物語第一部桐壺から藤裏葉までの33帖)を紫上系17帖と玉鬘系16帖とに分けたときに、両者の間には、 光源氏紫上といった両系登場する主要人物呼称紫上系の巻と玉鬘系の巻で異なる。 紫上系の巻で光源氏と関係を持つのは紫上藤壺六条御息所といった身分の高い「上の品」の女性達であり、玉鬘系の巻で光源氏と関係を持つのは空蝉夕顔玉鬘といった上の品より身分の低い「中の品」の女性達であるというように明確にわかれている。 紫上系の巻の文体筆致等は素であり、玉鬘系の巻の描写深みがある。 といった違い認められ両者の間には 玉鬘系の巻を取り除いて紫上系の巻だけをつなげておとぎ話的な「めでたしめでたし」で終わる矛盾のない物語構成している。 紫上系の巻で起こった出来事玉鬘系の巻に反映しているが、逆に玉鬘系の巻で起こった出来事紫上系の巻に反映していない。 玉鬘系の巻はしばし紫上系の巻と時間的に重な描写がある。 源氏物語第一部登場人物は、紫上系登場人物玉鬘系登場人物明確に分けることができ、紫上系登場人物は、紫上系・玉鬘系のどちらの巻にも登場するに対して玉鬘系登場人物玉鬘系の巻にしか登場しない桐壺巻と帚木巻、夕顔巻と若紫巻など紫上系の巻から玉鬘系の巻に切り替わる部分や、逆に玉鬘系の巻から紫上系の巻に切り替わる部分描写不自然な点が多い。 といった関係が認められる武田は、これらのさまざまな現象は、『源氏物語』第一部はまず『「原」源氏物語』とでも呼びうる紫上系の巻だけからなる部分執筆され、その後玉鬘系の巻が一括して書かれおおよそ年立に従って紫上系の巻の間に一挙に挿入されたと考えると説明できるとした。 これ以後下記のように、武田説の「玉鬘系後記挿入された」とする点については賛否分かれたものの、源氏物語第一部紫上系玉鬘系という質的な差異存在する二つ部分から構成されることは広く承認されるようになった

※この「武田宗俊の玉鬘系後記挿入説」の解説は、「玉鬘系・紫上系」の解説の一部です。
「武田宗俊の玉鬘系後記挿入説」を含む「玉鬘系・紫上系」の記事については、「玉鬘系・紫上系」の概要を参照ください。

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