武田宗俊の玉鬘系後記挿入説
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「玉鬘系・紫上系」の記事における「武田宗俊の玉鬘系後記挿入説」の解説
「玉鬘系」(およびこれと並ぶ「紫上系」)という概念を最初に明確な形で唱えたのは武田宗俊である。武田は、源氏物語の第一部(桐壺から藤裏葉までの33帖)を紫上系17帖と玉鬘系16帖とに分けたときに、両者の間には、 光源氏や紫上といった両系に登場する主要人物の呼称が紫上系の巻と玉鬘系の巻で異なる。 紫上系の巻で光源氏と関係を持つのは紫上・藤壺・六条御息所といった身分の高い「上の品」の女性達であり、玉鬘系の巻で光源氏と関係を持つのは空蝉・夕顔・玉鬘といった上の品より身分の低い「中の品」の女性達であるというように明確にわかれている。 紫上系の巻の文体や筆致等は素朴であり、玉鬘系の巻の描写は深みがある。 といった違いが認められ、両者の間には 玉鬘系の巻を取り除いて紫上系の巻だけをつなげてもおとぎ話的な「めでたしめでたし」で終わる矛盾のない物語を構成している。 紫上系の巻で起こった出来事は玉鬘系の巻に反映しているが、逆に、玉鬘系の巻で起こった出来事は紫上系の巻に反映していない。 玉鬘系の巻はしばしば紫上系の巻と時間的に重なる描写がある。 源氏物語第一部の登場人物は、紫上系の登場人物と玉鬘系の登場人物に明確に分けることができ、紫上系の登場人物は、紫上系・玉鬘系のどちらの巻にも登場するのに対して、玉鬘系の登場人物は玉鬘系の巻にしか登場しない。 桐壺巻と帚木巻、夕顔巻と若紫巻など紫上系の巻から玉鬘系の巻に切り替わる部分や、逆に、玉鬘系の巻から紫上系の巻に切り替わる部分の描写に不自然な点が多い。 といった関係が認められる。武田は、これらのさまざまな現象は、『源氏物語』の第一部はまず『「原」源氏物語』とでも呼びうる紫上系の巻だけからなる部分が執筆され、その後に玉鬘系の巻が一括して書かれておおよそ年立に従って紫上系の巻の間に一挙に挿入されたと考えると説明できるとした。 これ以後、下記のように、武田説の「玉鬘系が後記挿入された」とする点については賛否分かれたものの、源氏物語の第一部が紫上系と玉鬘系という質的な差異が存在する二つの部分から構成されることは広く承認されるようになった。
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