正露丸の歴史とは? わかりやすく解説

正露丸の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 08:41 UTC 版)

大幸薬品」の記事における「正露丸の歴史」の解説

正露丸成り立ちは、1830年ドイツ人化学者カール・ライヘンバッハが、ヨーロッパブナの木から木クレオソート蒸留したことが起源となる。当初化膿傷の治療用いられ、後に防腐剤として食肉保存など使用され、更に殺菌効果期待して胃腸疾患内服されるようになった日本には1839年長崎和蘭商館ニーマンにより持ち込まれ1856年刊の薬物書には木クレオソートを「結麗阿曹多(ケレヲソート)」と記した記載見られるまた、1866年刊の「新薬百品考」には、結麗阿曹多の製法効能用法簡潔に記載されている。 1902年大阪中島佐一房は「忠勇征露丸」の売薬免許取得木クレオソート丸剤に「忠勇征露丸」という商品名つけられ製造販売開始した一方帝国陸軍では、「明治三十七八年戦役陸軍衛生史」によると「戦役ノ初メヨリ諸種便宜上結列阿曹篤ヲ丸トシテ之ヲ征露丸ト名ケ出世者全部支給シテ以下略)」服用命じた記録残っており、1904-5年の日露戦争時に「征露丸」を軍人全員配布していた。正露丸誕生一説として1903年陸軍軍医学校によって開発されたとのいわれがあるが、1901年明治34年)の陸軍医学雑誌ではクレオソート丸と記載があり、前記資料より1903年以前からあったクレオソート(結列阿曹篤)丸を日露戦争時に「征露丸」と名づけ用いていたことがわかる。 中島1945年3月亡くなり戦前最大シェア誇った忠勇征露丸」の商品名製造販売大幸薬品前身である柴田製薬所譲渡されるその後商品名1949年に「中島正露丸」、1954年に「正露丸」と変えながら、大幸薬品正露丸販売の9割を寡占する最大手として現在に至っている。

※この「正露丸の歴史」の解説は、「大幸薬品」の解説の一部です。
「正露丸の歴史」を含む「大幸薬品」の記事については、「大幸薬品」の概要を参照ください。

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