歌垣と『万葉集』とは? わかりやすく解説

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歌垣と『万葉集』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:59 UTC 版)

筑波山」の記事における「歌垣と『万葉集』」の解説

筑波山古来より農閑期行事として大規模な歌垣(かがい)が行われ、近隣から多数男女集まって歌を交わし舞い踊り性交を楽しむ習慣があった。これは今年豊穣喜び祝い来る年豊穣を祈る意味があった。 『常陸国風土記』には、筑波山における歌垣について、富士山との比較次のような話を載せている。諸国をめぐり歩く神祖尊(みおやのみこと)が、新嘗の日に富士山訪ねた。ところが富士の神は新嘗祭忙しいからと一夜の宿断った神祖尊は嘆き恨んで、「この山は生涯冬も夏も降り積もって寒く、人が登れず、飲食供える者もなくしよう」といい、今度常陸筑波山行き宿を乞うた。筑波山新嘗祭にもかかわらず快く宿を供し飲食奉った喜んだ神祖尊は、「…天地あめつち)とひとしく 月日共同(とも)に 人民たみぐさ集い賀(よろこ)び 飲食(みけみき)豊かに 代々(よよ)絶ゆことなく 日々に弥(いや)栄え 千秋万歳(ちあきよろずよ) たのしみ窮(きわま)らじ」と歌った。それから富士山はいつも覆われ登る人もなく、筑波山は昼も夜も人が集い歌い飲食をするようになったという。『常陸国風土記』の成立養老年間717年 - 724年)だが、既にこの頃には筑波山男女集う嬥歌(かがい・歌垣うたがき))の場であったことがわかる。 『万葉集』第9巻1759番収録高橋虫麻呂作の歌には、 棲む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集ひ かがふかがひに 人妻に 吾(あ)も交はらむ わが妻に 人も言問へ この山を 領(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 言(こと)も咎むな (現代語訳棲む筑波山の裳羽服津の津のほとりに、 男女誘い合い集まって舞い踊るこの歌垣(かがい)では、 人妻に、私も性交しよう。我が妻に、人も言い寄ってこい。 この山の神が昔から許していることなのだ。 今日だけは目串(めぐし、不信思い他人突き刺すように見ること)はよせよ、咎めるなよ。 と、歌垣への期待興奮する気持ち素直にのびのびと詠われる。

※この「歌垣と『万葉集』」の解説は、「筑波山」の解説の一部です。
「歌垣と『万葉集』」を含む「筑波山」の記事については、「筑波山」の概要を参照ください。

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