横浜市-ペナン市技術職員交流事業とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 横浜市-ペナン市技術職員交流事業の意味・解説 

横浜市-ペナン市技術職員交流事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 10:18 UTC 版)

横浜の都市デザイン」の記事における「横浜市-ペナン市技術職員交流事業」の解説

1986年から9年間行われた横浜市マレーシアペナン市との技術交流横浜市による都市づくりの国際協力1982年開催された「第1回国連アジア太平洋都市会議 (Y'LAP)」を発端とする。当時JICAペナン市で実施していた交通問題に関する技術協力事業横浜市道路局職員派遣されペナン市からは技術者道路局研修生として在籍していたこと等を背景に、会議後職員相互派遣等を経て1986年10月には「技術交流に関する共同宣言」が調印され9か年交流事業至った当初9年間を通して都市デザイン分野技術交流を行う予定であったが、事業進める中で、1986年度からは都市デザイン1989年度からは道路維持管理1992年度からは固形廃棄物処理テーマとされ、そのテーマ応じ毎年都市から技術職員1名が約3か月間、相手方都市滞在して技術協力が行われた。都市デザインテーマとした3年間では、初年度ジョージタウン各地区・各通りの特徴づけとそれらを結ぶ歩行者動線づくりを骨子とする総合的な都市デザインプランが提案され2、3年目はプラン具体化として、古くからの商店街であるキャンベルストリートの歩行者空間整備に関する提案、および歩行者ネットワーク拠点整備サイン計画提案それぞれ示された。キャンベルストリートの計画は、すぐに受け入れられることはなかったが、ペナン都市計画局では実現向けた取組み継続され提案から10年後の1996年連邦政府補助事業として採択され1997年完成している。なお、ペナン市からの交流職員一人が、元ペナン市長、元セベランプライ市長のダトゥ・マイムナー・モハド・シャリフであり、後述する「セベランプライ市と横浜市の技術交流事業」のきっかけとなっている。

※この「横浜市-ペナン市技術職員交流事業」の解説は、「横浜の都市デザイン」の解説の一部です。
「横浜市-ペナン市技術職員交流事業」を含む「横浜の都市デザイン」の記事については、「横浜の都市デザイン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「横浜市-ペナン市技術職員交流事業」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「横浜市-ペナン市技術職員交流事業」の関連用語

横浜市-ペナン市技術職員交流事業のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



横浜市-ペナン市技術職員交流事業のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの横浜の都市デザイン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS