横浜市-ペナン市技術職員交流事業
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「横浜の都市デザイン」の記事における「横浜市-ペナン市技術職員交流事業」の解説
1986年から9年間行われた横浜市とマレーシア国ペナン市との技術交流。横浜市による都市づくりの国際協力は 1982年に開催された「第1回国連アジア太平洋都市会議 (Y'LAP)」を発端とする。当時、JICAがペナン市で実施していた交通問題に関する技術協力事業に横浜市道路局職員が派遣され、ペナン市からは技術者が道路局に研修生として在籍していたこと等を背景に、会議後、職員の相互派遣等を経て、1986年10月には「技術交流に関する共同宣言」が調印され9か年の交流事業に至った。当初、9年間を通して都市デザイン分野の技術交流を行う予定であったが、事業を進める中で、1986年度からは都市デザイン、1989年度からは道路の維持管理、1992年度からは固形廃棄物処理がテーマとされ、そのテーマに応じ、毎年両都市から技術職員1名が約3か月間、相手方都市に滞在して技術協力が行われた。都市デザインをテーマとした3年間では、初年度はジョージタウンの各地区・各通りの特徴づけとそれらを結ぶ歩行者動線づくりを骨子とする総合的な都市デザインプランが提案され、2、3年目はプランの具体化として、古くからの商店街であるキャンベルストリートの歩行者空間整備に関する提案、および歩行者ネットワークの拠点整備とサイン計画の提案がそれぞれ示された。キャンベルストリートの計画は、すぐに受け入れられることはなかったが、ペナン市都市計画局では実現に向けた取組みが継続され、提案から10年後の1996年に連邦政府補助事業として採択され、1997年に完成している。なお、ペナン市からの交流職員の一人が、元ペナン市長、元セベランプライ市長のダトゥ・マイムナー・モハド・シャリフであり、後述する「セベランプライ市と横浜市の技術交流事業」のきっかけとなっている。
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