構成員の素性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 16:40 UTC 版)
「反体制派 (シリア 2011-)」の記事における「構成員の素性」の解説
シリア内戦における反体制派は、当初既存の政党・政治勢力にも所属していない人々に広がっていった。彼らは治安部隊の暴虐に怒りを覚えた普通の人々であったとされ、デモを組織しデモに参加していた。特にインターネットや携帯電話を使いこなす若年層が多かった。彼らの抗議活動とそれを弾圧する政権の姿がインターネットや国際メディアを通じで世界に配信されると、民衆や国際世論においてアサド政権への批判が高まった。それに19世紀以降欧米で暮らしていたシリア系移民の末裔も反体制派の支援に乗り出し、自らが居住する国を中心に反アサドの機運を盛り上げていった。しかし、彼らは、アラブの春までシリアに対する意識が薄かったため、シリア国内に人脈が乏しく、シリア本国の活動家と連携が取れなかった。国内の活動家とシリア系移民の末裔をまとめ上げるために立ち上がったのが、1980年以降シリアから亡命し手活動を続けた「筋金入り」の反体制派である。彼らはシリア国民評議会を作り、反体制派の連携を図ったが、多様な主義主張を持つ多数の集団を取り込んでしまったため、意見集約ができずに失敗した。 地理的には、北東部・内陸部・農村・乾燥地帯の住民が反体制派に積極的に加わった。騒乱前のシリアでは、気候変動や都市重視の政策によって都市と農村の格差がかつてないほど広まっており、周縁化され経済発展が遅れたこれらの地域では、かつて支持していた政権に対する反発が高まっていた。一方でダマスカス・アレッポおよび沿岸部の住民は比較的豊かで安定した生活を送っており、反体制派に脅威を覚える人々が多かった。 騒乱下の反体制派支配地域では、経済情勢が悪化しているにも関わらず、反体制派戦闘員は高い給料を受け取っている。そのため、経済的に困窮した若者が反体制派に入ることがある。
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