検問所廃止以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:54 UTC 版)
「チェックポイント・チャーリー」の記事における「検問所廃止以降」の解説
1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、市内の国境検問は事実上廃止された。その後もしばらくの間、チェックポイント・チャーリーは公式には外国人・外交官用の検問所という役割を担ったままであったが、1990年10月1日のドイツ再統一に先立つ6月22日に検問小屋が撤去された。この小屋は、市内ツェーレンドルフ地区にある連合国博物館 (Allied Museum) に展示されている。 2000年、周辺一帯の再開発によって旧東ドイツの監視塔が取り壊された。チェックポイント・チャーリーの建造物としては、この監視塔が最後まで残っていたものであったが、新たに建設されるオフィスビルや商業施設に場所を譲る格好になった。当初ベルリン市はこの監視塔を保存する意向であったものの、歴史的建造物としての認定を得ることができず断念している。取り壊しに際しては、世間の注目を極力集めないよう、作業は秘密裏に実施された。 2004年10月31日から2005年7月5日までの期間、実際の壁の一部を使い新たに白く塗り直した壁、また冷戦時代に壁を越えようとして命を落とした1,067人の犠牲者を追悼する十字架が敷地に立てられた。 2007年10月には、ドイツのテレビ局ARDが2部構成の映画『Die Frau vom Checkpoint Charlie』(チェックポイント・チャーリーの女性)を放送した。この作品は、2人の娘と西側・東側で生き別れになった女性が、1980年代に東ドイツに対する抗議活動をチェックポイント・チャーリーの前で行なって一躍有名になるとともに、東西ドイツの間で政治問題に発展した実際の出来事を下敷きにしたものである。
※この「検問所廃止以降」の解説は、「チェックポイント・チャーリー」の解説の一部です。
「検問所廃止以降」を含む「チェックポイント・チャーリー」の記事については、「チェックポイント・チャーリー」の概要を参照ください。
- 検問所廃止以降のページへのリンク