桜丸御門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 15:20 UTC 版)
飯田城桜丸御門は桜丸の正門であり、塗られた弁柄の色から「赤門」とも呼ばれている。宝暦3年(1753年)8月に工事が開始され、宝暦4年(1754年)に完成した。屋根は入母屋造であり、妻飾は狐格子と蔐懸魚(かぶらげぎょ)とする。間口の中央に2枚の開板戸があり、追手町小学校から見て左側に小さなくぐり板戸がつけられている。門の脇には別屋根が架けられた番所が突きだしているが、このような例は長野県唯一である。飯田城に関連する建築物としては、唯一桜丸御門だけが建築当時と同じ場所に所在する。長野県で建築当時と同じ場所に所在する城門は、小諸城の大手門と三の門(ともに国の重要文化財)、上田城の藩主居館表門(上田市指定文化財)、飯田城の桜丸御門の4例のみである。 明治時代の廃藩置県後には飯田城の構造物の大半が取り壊されたが、桜丸御門は取り壊されることなく生き残った。飯田県庁舎、筑摩県飯田支所、下伊那郡役所、下伊那地方事務所の正門として用いられていた。1971年(昭和46年)に長野県飯田合同庁舎が完成すると、通用門としての役目を終えたが、地元の要望でそのまま残された。1985年(昭和60年)には土台や塀の修理、色の塗り替えなどの大改修が行われ、同年11月20日には飯田市有形文化財に指定された。その時から扉が開けられることは一度もなかったが、桜丸御殿の夫婦桜が見ごろになるのに合わせて、1999年(平成11年)3月には14年ぶりに開門された。
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