桜丸御殿の夫婦桜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 15:20 UTC 版)
「飯田城 (信濃国)」の記事における「桜丸御殿の夫婦桜」の解説
飯田藩初代藩主の脇坂安元(飯田藩主1617年-1654年)は無類の桜好きであり、「弥陀の四十八願の桜」として飯田藩内の寺院や祠に多数の桜を植えている。嗣子である脇坂安経の死後、脇坂安元が養子として脇坂安利を迎えた際には、御殿の庭園の中心に2本の桜を植えた。「娘と婿殿の婚礼のために植えるのだから、仲良く近くに植えた方がいい」との配慮から、2本の桜を近くに植えたのである。 脇坂安元や庭師は2本ともシダレザクラであると思い込んでいたが、実は片方がシダレザクラ、もう一方は(枝垂れない)エドヒガンだった。近くに植えすぎた2本の桜は次第に根元が結合し、「夫婦桜」(めおとざくら)と呼ばれるようになった。1本の桜が2種類の花を咲き分けているように見えるのが特徴である。シダレザクラとエドヒガンの2種が合体しているのはとても珍しいとされる。2012年時点の推定樹齢は400年。高さは20メートル、根元の幹回りは10メートル。
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