飯田藩
飯田藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:18 UTC 版)
堀秀政の次男・堀親良は蔵王堂に4万石を領し、うち1万石を家老の近藤重勝に分与した。慶長7年(1602年)頃、宗家重臣の堀直政と不和になって対立し出奔、所領を失う。慶長16年(1611年)、下野国真岡に1万2,000石を賜り、江戸で秀忠に拝謁する。この間に堀氏宗家は改易処分を受けているが、隠遁していた親良(当時は秀成)は連座をすることはなかった。 寛永4年(1627年)下野国烏山に移封され2万5,000石を領した(うち5,000石は次弟と三弟に分与、旗本二家を立てる)。嫡男・親昌は寛文12年(1672年)、信濃飯田2万石に転封となる。その後の歴代当主は水野忠邦の失脚による連座、天狗党に対して何の対処もとらずに関所を通過させた件などで、数度の減封があり1万5000石で明治に至る。
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