株式公開・Apple IIIの失敗
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「Appleの歴史」の記事における「株式公開・Apple IIIの失敗」の解説
1980年12月12日、Apple Computerは新規株式公開 (IPO) を行い、自動車会社フォードが1956年に行ったIPO以来最高となる資金調達額を記録した。このIPOにより、750万株を持つジョブズは約2億5,600万ドルの個人資産を手に入れ、ウォズニアックやマークラ、スコットらも莫大な利益を得た。 株式公開に先立つ1980年5月、Appleはビジネス向けに特化して設計された「Apple III」を発売し、巨大企業IBMに商用コンピュータ市場で挑戦を仕掛けたが、4,340 - 7,800ドルという価格設定の高さと、対応ソフトウェアの不足、そしてハードウェアの設計上の欠陥がわざわいし、Apple IIIは極度の販売不振に陥った 初期に出荷されたApple IIIのほとんどが欠陥品としてリコールされ、Appleは14,000台余りのApple IIIを無料で交換することを強いられた。1984年に生産終了するまでのApple IIIの累計販売台数は約12万台に過ぎなかったが、Apple IIは同じ期間に約200万台を売り上げていた。ウォズニアックは、技術者ではなくマーケティング部門の意向に基づいて設計されたことがApple IIIの敗因であったと分析している。 他方、IBMは1981年8月12日に「IBM PC」を発表してパーソナルコンピュータ (PC) 市場へ参入し、AppleとIBMの競争は本格化した。IBM PCの発売に際し、Appleは経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルに今日では有名になった「Welcome, IBM. Seriously(ようこそ、IBM)」と題する全面広告を出してIBMを「歓迎」して見せるなど、当初はIBM PCが大きな脅威になるとは認識していなかった。しかしIBM PCの販売は好調であり、初年度だけで5万台を売り上げ、2年後には売上高でApple製PCを追い抜いた。1983年度のデータによれば、この年にAppleの市場シェアが20パーセントから21パーセントに微増するにとどまったのに対し、IBMの市場シェアは18パーセントから26パーセントに伸びていた。
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