株式公開・Apple IIIの失敗とは? わかりやすく解説

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株式公開・Apple IIIの失敗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 00:36 UTC 版)

Appleの歴史」の記事における「株式公開・Apple IIIの失敗」の解説

1980年12月12日Apple Computer新規株式公開 (IPO) を行い自動車会社フォード1956年行ったIPO以来最高となる資金調達額を記録した。このIPOにより、750を持つジョブズは約2億5,600ドル個人資産手に入れウォズニアックマークラスコットらも莫大な利益得た株式公開先立つ1980年5月Appleビジネス向けに特化して設計された「Apple III」を発売し巨大企業IBM商用コンピュータ市場挑戦仕掛けたが、4,340 - 7,800ドルという価格設定の高さと、対応ソフトウェアの不足、そしてハードウェアの設計上の欠陥わざわいし、Apple III極度販売不振陥った 初期出荷されApple IIIのほとんどが欠陥品としてリコールされApple14,000余りApple III無料交換することを強いられた1984年生産終了するまでのApple III累計販売台数は約12台に過ぎなかったが、Apple IIは同じ期間に約200台を売り上げていた。ウォズニアックは、技術者ではなくマーケティング部門の意向基づいて設計されたことがApple III敗因であった分析している。 他方IBM1981年8月12日に「IBM PC」を発表してパーソナルコンピュータ (PC) 市場参入しAppleIBM競争本格化した。IBM PC発売際しApple経済紙ウォール・ストリート・ジャーナル今日では有名になった「Welcome, IBM. SeriouslyようこそIBM)」と題する全面広告出してIBMを「歓迎」して見せるなど、当初IBM PC大きな脅威になるとは認識していなかった。しかしIBM PC販売好調であり、初年度だけで5万台を売り上げ2年後には売上高Apple製PC追い抜いた1983年度データによればこの年Apple市場シェア20パーセントから21パーセント微増するとどまったのに対しIBM市場シェア18パーセントから26パーセント伸びていた。

※この「株式公開・Apple IIIの失敗」の解説は、「Appleの歴史」の解説の一部です。
「株式公開・Apple IIIの失敗」を含む「Appleの歴史」の記事については、「Appleの歴史」の概要を参照ください。

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