株式会社改組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:47 UTC 版)
事業の拡大に伴い、内藤家は電気事業の公共性を鑑みて株式会社組織とすることとし、1924年(大正13年)4月28日に資本金350万円で延岡電気株式会社を設立した。同社は同年6月10日に逓信省の認可を得て内藤家より電気事業を譲り受けた。本社は延岡電気所の建物を引き継ぎ延岡市南町に設置。初代社長には鈴木憲太郎が就任した。 延岡電気は発足とともに名貫川発電所(出力630キロワット)を着工し、1925年(大正14年)に新設した。これにより発電力は水力発電所5か所で計1,840キロワットとなるが、1929年(昭和4年)12月にはこの総発電力を単独で上回る出力3,200キロワットの祝子川発電所を新設している。 内藤政挙死後の1930年(昭和5年)4月、内藤家は九州の有力電力会社九州水力電気へとその持ち株4万9000株を譲渡した。このため延岡電気は九州水力電気の傘下に入り、同年5月、同社から役員が派遣されて社長は同社社長麻生太吉に代わった。なお延岡電気買収に先立つ1927年(昭和2年)に宮崎市の日向水力電気も九州水力電気に合併されている。
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