松岡利勝との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 05:30 UTC 版)
第1次安倍内閣発足時、松岡利勝の農水相起用を実現させたのは飯島であるとされる。松岡は自殺した際、国民や安倍首相、後援会などにあてた複数の遺書を残しているが、その中には飯島宛のものも存在した。官邸の内幕を取材したジャーナリストの上杉隆によれば飯島は安倍に対し「松岡先生をどうか宜しくお願いします。“身体検査”は全てクリアーしています」と語ったとされる。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}松岡は、小泉内閣の中期までは典型的な農水族議員・抵抗勢力の代表格で、農業自由化はおろか、「改革」と名のつく全ての政策に反射的・無条件に反対する論者として知られていたが、安倍内閣に入閣以降は農業自由化の急先鋒に立場を転換し、小泉改革の裏の担い手として活動するようになった[要出典]。 2005年に入り、郵政民営化の議論が本格化し始めると松岡は衆議院・郵政民営化特別委員会理事として小泉を支え、所属派閥領袖だった亀井静香と対応が分かれた。同年8月8日午後、郵政法案が参議院で否決されると間髪入れず小泉は憲法7条に基づき郵政解散を断行するが、同日午前に小泉は官邸を訪問した松岡を前に「これから新しい時代が始まる! 古い自民党をぶっ壊して新しい自民党を作る」とその決意を語っている[要出典]。
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