東照宮造営の背景
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東北諸藩の動き 徳川家康をまつる東照宮は諸大名が競って勧請しており、現在でも全国に508社ある。東北地方では弘前藩が元和3年(1617年)に造営したのを皮切りに、会津蒲生氏が元和8年(1622年)、鶴岡藩が正保2年(1645年)に造営した。 徳川氏と伊達氏の姻戚関係 慶長11年(1606年)、仙台藩祖伊達政宗の長女五郎八姫は徳川家康の七男松平忠輝に嫁ぎ徳川・伊達両氏の間に姻戚関係が生じた。また慶長13年(1608年)に政宗が陸奥守に任じられた時、松平の家号を許された。元和3年(1617年)には忠宗のもとに2代将軍徳川秀忠の養女振姫が輿入れした。忠宗は家康の娘市姫を正室に迎え入れる約束があったが、早世によりこの縁組がなされたのである。 仙台藩財政難における幕府の支援 伊達政宗が寛永13年(1636年)6月に没すると、瑞鳳殿を造営した。同年10月仙台に大火があり、12月には若林の倉庫が焼失し領内の検地帳は失われた。翌年6月には大洪水があり、仙台藩は財政難のため幕府に約10万両の借用を願い出た。これは20余万石に匹敵した金額である。寛永15年には仙台城二ノ丸工事も着工した。これらの費用をまかない藩を豊かにするため新田の開墾が奨励された結果仙台藩内は大いに田が開けた。幕府より借りた金子は藩の急場を救ったものと考えられる。
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