東洋への出発とは? わかりやすく解説

東洋への出発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:36 UTC 版)

フランシスコ・ザビエル」の記事における「東洋への出発」の解説

リスボン1572年の図) ゴア古地図18世紀の作) ゴアボム・ジェズ教会外観 マラッカの港と要塞オランダ統治時代1726年の図) 当初より世界宣教テーマにしていたイエズス会は、ポルトガル王ジョアン3世依頼で、会員当時ポルトガル領だったインド西海岸ゴア派遣することになった。しかし、当初派遣される予定だったニコラス・ボバティリャとシモン・ロドリゲスのうち前者出発直前熱病かかったため、急遽代わり宣教師として、当時ロヨラ秘書布教先が未定だったザビエル白羽の矢立ったザビエルインド赴くことを即座に承諾し1540年3月15日慌ただしくローマ出発したザビエル先に出発していたシモン・ロドリゲスとともにポルトガル経由インドに発つ予定であったが、ロドリゲスリスボン引き止められたため、彼は他の3名のイエズス会員(ミセル・パウロ、フランシスコ・マンシリアス、ディエゴ・フェルナンデス)とともに1541年4月7日リスボン出発したちなみにこの日は彼の35歳誕生日である)。8月アフリカモザンビーク到着、秋と冬を過して1542年2月出発5月6日ゴア到着。そこを拠点インド各地宣教し、1545年9月マラッカ、さらに1546年1月にはモルッカ諸島に赴き宣教活動続け多く人々キリスト教導いたマラッカ戻り1547年12月出会ったのが鹿児島出身ヤジロウアンジロー)という日本人であった

※この「東洋への出発」の解説は、「フランシスコ・ザビエル」の解説の一部です。
「東洋への出発」を含む「フランシスコ・ザビエル」の記事については、「フランシスコ・ザビエル」の概要を参照ください。

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