東洋への伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 21:48 UTC 版)
中国では明の張寧『方洲雑録』に「僾逮」と記され、また別の書では「眼鏡」とも書かれる、田藝蘅『留青日札』では『方洲雑録』を引用して「靉靆」(あいたい)の名で言及されている。アラビア語: عوينات (ʿuwaynāt)あるいはペルシア語: عینک (eynak)の借用といわれる。 日本に眼鏡を伝えたのは、宣教師フランシスコ・ザビエルで、周防国の守護大名・大内義隆に謁見した際に献上したのが最初といわれている。ただし、これは現存しておらず、現物で残っている日本最古の眼鏡は、室町幕府第12代将軍の足利義晴が所持していたと伝わるものがある。一説には、義隆の物より、義晴が所持していたものの方が古いとも言われる。また徳川家康が使用したと伝わる眼鏡も久能山東照宮に現存している。日本でも、眼鏡はやがて国内で作られるようになり、江戸時代の半ばほどにもなると、江戸や大阪の大都市では、眼鏡を販売する店が出るようになった。同時に日本独自の改良も施されるようになり、中でもメガネの鼻パッドは日本独自の発明であるとされる。
※この「東洋への伝来」の解説は、「眼鏡」の解説の一部です。
「東洋への伝来」を含む「眼鏡」の記事については、「眼鏡」の概要を参照ください。
- 東洋への伝来のページへのリンク