東欧での活動
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「エトムント・フェーゼンマイヤー」の記事における「東欧での活動」の解説
大使就任後、フェーゼンマイヤーはリッベントロップの命令で、1938年11月から1939年3月にかけてブラチスラヴァに数回派遣され情報提供者と接触し、ヨゼフ・ティソを親独政権の首班にするため尽力した。また、1939年8月にはダンツィヒに派遣されポーランドとの開戦機運を高めるための工作に従事した。1940年3月からは、イギリスに対してアイルランドを中立に移動するための計画を委託された。 1941年4月、ドイツのザグレブ(クロアチア)の外交スタッフになり、ウスタシャのアンテ・パヴェリッチの擁立を支持した。1941年から1942年にかけてクロアチア独立国とセルビア救国政府のパルチザンとユダヤ人の迫害・殺害に重要な役割を果たした。1943年の春から秋にかけてハンガリー王国に派遣され、摂政ホルティ・ミクローシュの監視を任された。フェーゼンマイヤーは、「ホルティが枢軸国から離脱しようとしている」として、ハンガリーに軍事介入するようにヒトラーとリッベントロップに報告した。1944年3月19日、ヒトラーはマルガレーテ作戦Iを発動し、フェーゼンマイヤーはドイツに占領されたハンガリーの「大ドイツ国の正式代表者」であるハンガリー駐在特使に任命される。 1944年6月13日付けの電報で、フェーゼンマイヤーは外務省に「45の車両と92の列車で合計289,357のユダヤ人をカルパチア山脈とトランシルヴァニア地方から輸送する」と報告している。15日にはリッベントロップに「34万人のユダヤ人が帝国に発送された」と電報で語った。また、ユダヤ人問題の最終決済の後、強制送還されたハンガリー系ユダヤ人の数は90万人に達すると発表した。ハンガリー系ユダヤ人の輸送に関しては国家保安本部のエルンスト・カルテンブルンナーに報告を上げていた。
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