東周(または列国)金文(B.C.770年~B.C.222年)
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「金文」の記事における「東周(または列国)金文(B.C.770年~B.C.222年)」の解説
周の東遷から始皇帝の統一まで、群雄割拠の春秋戦国時代となり、儒教や道教に代表される多種多様な倫理観が生まれ、鉄器の実用化に代表される工業技術の発展が見られた。戦乱の時代となったため、多数の銅剣・銅鉾など武器が鋳造されるようになるが、一方で祭祀用の青銅器も続けて鋳造されていくが、鐘などの楽器が急激に発達してくる。金文の変化としては、配下の将軍たちに対する戦功を記録する成文に変化してきたこと、国ごとに字義や字形が多様に変化してきたことが挙げられる。さらに、従来は不可能だった銘文の掘り込みが鉄器の開発によって可能となったことが挙げられる。これまで器の内側に鋳込まれていた金文が、外側に刻まれることが可能となった。 この技法の変化により、楚の金文のように筆記体にほぼ等しい銘が生まれたり、陳や中山で流行した「虫鳥体」と呼ばれる装飾性の高い細身の銘が生まれたりしている。また、鋳込みより簡単に銘が刻めることもあって、鐘に音階を刻んだものも出現してくる。 楚王 鼎 銘文 曾侯 銘文 越王勾践剣
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