東京ムービーの降板
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:34 UTC 版)
「ムーミン (アニメ)」の記事における「東京ムービーの降板」の解説
制作・放送が開始され、東京ムービーのスタッフたちは、第7話「さよならガオガオ」を原作者のトーベ・ヤンソンに見てもらうことに決定。トーベから「大変気に入りました」とお墨付きをもらえるものと期待していたが[要出典]、帰ってきたのは「これは私のムーミンではありません」など、本シリーズに対する否定的な見解、それに後述するような要望を書き連ねた手紙であった。東京ムービーはこのトーベの手紙の内容をクレームと公表し、第26話を最後に制作を終了。元から『ルパン三世』の制作までの繋ぎとして受注していたため,続ける意向のスポンサーやテレビ局への言い訳として,クレームで撤退としたのであった.第27話『顔をなくしたニンニ』から虫プロダクションに交代する。 本来、東京ムービーの幹部は安い制作費で作るために別番組の枠と抱き合わせでアニメ化の権利を入札した。だが東京ムービーのスタッフはトーベの要望に応えてよい作品を作ろうとし、結果として構成セルの枚数が増え、制作費用が非常に高くついてしまった。このような経緯で赤字番組となった『ムーミン』を切り捨てたがっていた東京ムービーは、トーベの要望と元々2クールの契約だったことを利用、『ルパン三世』の制作のために急遽制作を終了してしまう。社長に呼び出されたムーミン担当の所属アニメーター達は、打ち切りを知らされると同時に怒られ、がっかりした反面ほっとしたという。一方、この日は制作担当責任者の藤岡が出張でおらず、番組を続けたいと思っていた藤岡は翌日に打ち切りを聞いて憤慨した。しかし社長がもう決めてしまっていたため、後の祭りだったそうである。 東京ムービー期の『ムーミン』のレーザーディスクが発売された1989年時点でも、東京ムービーの社内ではトーベの苦情よりも「赤字を作った作品」という評価の方が強く残っており、世間の評価とは裏腹に社内での評価は低いままだった。
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