東アジアの歴史的視点から
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 23:40 UTC 版)
「エンドニムとエクソニム」の記事における「東アジアの歴史的視点から」の解説
はじめに、漢字が中国から伝来する以前の古代日本語や、元来文字を持たなかったアイヌ語には独自の口承の地名があったが、それらの地名を何であれ外来の文字を借りて文字化したとき、その地名は外来地名と解するべきか否か、判然としない。口承地名自体はもちろん内生地名だが、文字化する過程で外来地名化したと見るべきか、その文字化した地名が定着した場合にその外来地名が内生地名化したと理解すべきなのか、疑問が残る。 漢字地名は漢字文化圏内であれば基本的に漢字表記のまま相互理解が可能であるため、翻訳や翻字を必要としない。たとえば、東京を「とうきょう」と読めば日本語地名、「トンチン」と読めば中国語地名、「トンギョン」と読めば韓国語地名、「ドンキン」と読めばベトナム語地名となる。この「東京」は、中国語の外来地名「東京」を語源とする日本の内生地名でありながら、各国語の漢字音で発音して使用されれば、そのまま各国の内生地名になり、それらは日本から見れば外来地名と捉えられることになる。このように地名の歴史的変遷を追って考えると、外来地名と内生地名は固定的な概念ではなく、相互に浸透していくことが理解される。 そのほか、倶利伽羅峠 (Krkara) ・薩埵峠 (Sattva) ・摩耶山 (Māyā) ・祇園 (Jeta-vana) ・那智滝 (Nadï) ・琵琶湖 (Vipañkî) は日本語に消化されて内生化したサンスクリット由来の地名であり、外来地名・外来語・自国語が動的に作用し合い、相互に密接な関係をもって成立した歴史を内包している。
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