朽木綱貞_(陸軍軍人)とは? わかりやすく解説

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朽木綱貞 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/02 02:21 UTC 版)

朽木 綱貞(くつき つなさだ、1875年明治8年)12月2日 - 1929年昭和4年)9月6日[1])は、明治から大正時代の陸軍軍人政治家。最終階級は陸軍少将貴族院議員子爵工学博士福知山藩13代(最後)の藩主朽木為綱の子。妻は徳川篤守の娘芳子。陸軍の火薬研究の権威であった。


  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』42頁。
  2. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、37頁。
  4. ^ 『官報』第3737号「叙任及辞令」1895年12月11日。
  5. ^ 『官報』第7046号「叙任及辞令」1906年12月22日。
  6. ^ 『官報』第427号「叙任及辞令」1913年12月29日。


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