未亡人泣かぬと記者よまた書くか
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いつ、どこで、どの本(あるいは雑誌)で知ったのか、もう記憶にないほど掲句とのお付き合いは長い。そして不思議なことに、普段はすっかり忘れているのに、ある日新聞の片隅でひょいとこの句に再会する。 新聞のコラムでは、このように戦時中は言論統制がなされていたが、省みて平成の記者たちは正しい報道をしているのか、という論調で語られることが多い。或いは、こんな辛い思いは決して子や孫にさせたくないと、平和への願いを象徴する句として紹介されることもある。 この句は大正7年創刊の雑誌「天の川」に掲載された5句連作の中の1句で、発表されたのは昭和12年。盧溝橋事件から日中戦争に突入した年というと、戦後生れの私には、はるか昔のことに思える。 実際、この句は70年以上も前に出来た句で、作者も有名な俳人ではない。それがなぜ俳句と直接関係の無い人々に記憶されるのだろう。 一読して心に残るのは未亡人の哀しみであり、紋切り型の記事を書く記者への静かな抵抗である。さらに、マスコミを支配する軍部という権力への秘かな叫びも聞こえて来る。加えて、作者は男の視点で銃後の世界を見ているから、非常に重層的な視点を持った俳句であると言える。 最近の憲法改正論議の沸騰ぶりと、それに呼応した時事俳句を見ると、つい掲句と比べてしまい、(自分の句への自戒も込めて)ため息をつきたくなる。 100年後まで記憶に残る俳句を我々は生みだせるだろうか。 撮影:鈴木一男(フォトクラブ吉川) |
評 者 |
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備 考 |
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